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The Secret Santa - シークレット・サンタ -

懸賞 2008年 10月 24日 懸賞

(日本語は英語に続きます)

The day after just 2 months is Christmas Eve ! (Too early to talk about ? haha)
I want to share this story...
Do you know the Secret Santa ?

It's amazing and great story.
I knew it a few years ago.

The Secret Santa had gifted money(cash) to poor people at Christmas, every year, in US.
People called him "Secret Santa"

But, he was a man who lost his job when he started it.

Please read "the Secret Santa story".
(and more info)

ちょうどあと2か月でクリスマス・イブということで・・(話題にするには早い?笑)
この話は何年か前にテレビのアンビリバボーで放映されていた話です。

皆さん、シークレット・サンタを知っていますか?

下記は、さまざまなブログやサイトで書かれていた文を、英文のニュースと照らし合わせて、誤りがあったところを変更してまとめたものです。
(といっても、テッドさんの”お店の店員”→”お店のオーナー”、”ポップコーン”→”ハンバーガー&ドリンク”ぐらいですが・・笑)

***
アメリカでクリスマスになると、貧しく困っている人々に現金をプレゼントする男性がいた。 彼はいつしか「シークレットサンタ」と呼ばれるようになった。
 1971年11月、23歳のラリー・スチュワートは会社が倒産し路頭に迷っていた。 あまりの空腹に耐えきれず、ついレストランに入って取り憑かれたように注文してしまった。 請求書を出されようやく我に返り、お金を持っていないことに気づいた。 そして、なんとかその場を取り繕おうとポケットの中を探すフリをしながらも、警察に突き出されても仕方が無いと思っていた時だった。 その時、店のオーナー(彼はシェフでもあり、ウェイターでもあった)がラリーの横でしゃがんで、20ドル札が落ちていたと渡してくれたお陰で、彼は会計を済ませることができた。 だがこの人生最大の苦境に偶然手に入れた20ドルが、後に彼の運命を変える重大な鍵となる。

 1972年、運良く拾った20ドルの残りを旅費に、カンザスシティに移り住んだラリーは、警備関係の会社を起こして懸命に働いた。 結婚し子供も生まれたラリーは幸せな生活を手に入れたかに見えた。
だが1977年12月、不況で会社が倒産しその日の食事代にも困るほど追いつめられた。 貧しさのせいでラリーは我を忘れ、銃を手に銀行に入り、強盗を働きそうになった。 だが、受付で20ドル札を見てふと我に返り銀行強盗をすんでの所で思いとどまった。 改心したラリーは1978年、妻の兄からの援助を受けてセールスマンとして懸命に働いた。 だが彼はまたしても試練を与えられる。

 1979年12月、会社の経営が思わしくないということで、ラリーは解雇されてしまったのだ。 もう助けてもらうあてがないと途方に暮れていた時だった。 ふと目についた売店に立寄り、ハンバーガーとソフトドリンクを注文した。 店員の女性は暗い表情で、違う商品とおつりをラリーに渡した。

 ラリーは彼女が困っているのだと思い、おつりの中から20ドル札をプレゼントした。 彼女は受け取れないと言ったが、ラリーはクリスマスプレゼントだと言って手渡した。 この日はクリスマスだった。
女性は嬉しそうに礼を言った。 その笑顔がラリーを明るくし、彼は思いも寄らない行動をすることになった。

 そのままラリーは銀行に行くとなけなしの貯金を引き出し、白いオーバーオールに赤い服とベレー帽という姿で町に繰り出した。 そして困っているような人や貧しい人に20ドル札をクリスマスプレゼントとして手渡したのだ。 シークレットサンタが誕生した瞬間だった。 20ドルは大金ではなかったが、困っている人々にとっては大きな助けとなり喜んで受け取ってもらえた。 それがラリーの人生にも思わぬ影響を及ぼすことになる。

 家に戻ると、妻から銀行にお金が残っていなかった、と聞かれた。 ラリーは落としてしまったと答えた。 すると妻は怒るどころか、仕方がないわね、でもあなたは幸せそうね、と微笑むだけで文句を言わなかった。

 翌年の1980年、ラリーは友人と長距離電話の会社を設立し、懸命に働いた。 そしてその年のクリスマスにも道に立って人々に現金をプレゼントする活動を続けた。 そしてその金額は少しずつ多くなっていった。

 不思議なことにシークレットサンタとなって施しをすればするほど会社の業績が上がり、長年の切り詰めた生活から抜け出し家族のために家や新しい車を買えるまでになった。
ラリーの妻も町中でシークレットサンタの噂を耳にするようになった。 彼は家族にも言っていなかったのだ。 

 彼はそれからも一年も休むことなくシークレットサンタの活動を続けたのだが、9年目の1987年12月、ついに妻にシークレットサンタがラリーであることがわかってしまった。 すまないと謝るラリーに、妻は「素敵なことじゃない。 これからはもっと節約してたくさんの人を助けられるように協力するわ」と答えた。

 以後、家族もラリーの活動を知って陰から支えることになった。 1995年、地元ではすっかり有名になっていたラリーは匿名を条件に取材に応じた。

 カンザスシティ・スター紙のマクガイヤー記者は、彼も家族も一切表舞台に出ようとしなかったと話す。
しかし報道されてから、シークレットサンタの正体への関心はさらに高くなった。 一方ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、ある人物に会いたいという思いが募っていった。 そして1999年12月、ミシシッピ州のトゥペロという小さな町のある男性宅を訪れた。 

 その男性とは、シークレットサンタの生みの親だった。 
28年前の1971年、一文無しだったラリーが落ちていた20ドルに救われた日のこと。 本当の落とし主が現れたら困るので逃げるように店を後にしたラリーは、我に返って真実に気づいた。 20ドルは、お店のオーナーが、彼が恥をかかないようにと、落ちていたものとして見せかけて、彼にくれたものだったのだ。 

 その店のオーナーはテッド・ホーンといい、当時のことを思い出した。 ラリーは彼がしてくれたことをいつか誰かにしようと思ったのだと話した。 そして、テッドの20ドルがなかったら刑務所に入っていただろうという。 

 自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、ラリーはテッドに1万ドル(約120万円)の入った封筒を渡した。 
受け取れないというテッドに、ラリーは「いいえ、私はあなたにお金を返しに来たのです。 自分が今あるのはあなたのおかげだ」と引かなかった。 当時テッドは、警察に突き出すのではなく、自らの過ちに気づき、他人への優しさを知って欲しいと思って20ドルを差し出した。 それをずっと覚えていて、サンタ活動を続けたことには頭が下がるとテッドは話している。 

 テッドはラリーさんから渡された1万ドルを、近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちのために使ったという。 人を思いやる気持ちは健在だった。 

 そしてラリーのサンタ活動は全米に広がった。 2001年には世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行き、ホームレスや職を失った人を中心に2万5千ドルを配った。 

 2005年にはハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州を中心に7万5千ドルを配り、27年間で配った総額は150万ドル(約1億8千万円)になった。

 だが2006年、シークレットサンタがついにカメラの前に現れ正体を明かした。 彼は2006年4月、食道ガンのため治療しなければ1ヶ月生きられないと宣告されたのだ。 

 正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け、身近な人への思いやりを広げて欲しいというメッセージを送りたかったからだろうと、マクガイヤー記者は話す。 

 その反響は大きかった。 2日間で100通の手紙や7000通ものメールが彼のもとに届いた。 大半は自分もシークレットサンタになりたいというものだった。 

 あるミズーリ州の女性からのメールがラリーに届いた。 彼女は暴力を振るう夫から逃れて、子供と一緒にホームレス施設に住んでいた。 失望のため自殺を考えていたある日、施設に帰ると部屋に1000ドル(約12万円)があった。 そのお金が彼女の再出発を助け、今では幸せに過ごしているという。 メールを読んでもラリーには心当たりがなかった。 でも、後でわかったことだが、ラリーはその日、朝から困っている人を訪ねていたが、疲れたので残ったお金を友達のフィリップ保安官に、「誰か必要な人に渡してあげてくれ」と頼んで帰った。 そして保安官がこの施設を訪れ、彼女の部屋とは知らずにドレッサーに置いていったものだったのだ。

 その年のクリスマスも彼は病気を押してサンタの活動を行った。 そのお陰で多くの人が笑顔でクリスマスを迎えられた。 2007年1月12日、ラリーは58歳で静かにこの世を去った。 それでも彼の笑顔と優しさは数えきれないほどの人の胸に永遠のサンタとして刻み込まれただろう。 

 生前ラリーは、シークレットサンタ協会を設立、会員資格は少なくとも1回他人への親切な行為を行うこと。 今でも世界中から登録の申し込みが後を絶たない。
***

by naomiangel | 2008-10-24 16:26 | Recommend おすすめ・好きな物

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