ありのままの自分を心の底から愛するということ 3

懸賞 2010年 04月 20日 懸賞

(Japanese only)

その1その2からのつづき

私はつい最近まで、自分のことを、自分が難聴であることを十分に認めて、愛していると思っていました。

だけど・・

難聴であることを隠しながらまた就職活動しようとするということ自体、本当に愛しているとは言えないと気づきました。

ああ・・そうか・・私は結局、難聴である自分ではダメなんだと、恐れている心がまだあるんだと気づきました。

それは・・

私は、生まれつき難聴ですが、もの心ついたときから中学三年生まで、母に「(髪をおろして)耳を隠すように」言われて育てられました。

「難聴であることはいけないんだ」と苦痛に思いながらも隠していました。

私の実家は、群馬の田舎。 当時の田舎では、まだ障がい者に対して、寛容的な態度ではなく、奇異な目で見るところがあったようです。
だから、母としては、私がいじめられないようにとの配慮でそうしたつもりでした。
しかし、そういうこともちゃんと私に伝わりませんでした・・ 逆に私は、かなりそれで苦労することになりました。
発音が変だったり、聞こえなかったりして、みんなにからかわれたり、ひどいことも言われたこともありました・・ 「お前はしゃべるな、気持ち悪い」とある男子にも言われたことがありました。(でも、だいぶ経ってから、その子は、おそらく私が勉強ができるから、と、私を尊敬するようになりました。)
もしも、初めから周りが、難聴であることを知っていれば、それなりに、配慮してくれたかもしれない、理解してもらえたかもしれないんですね。

でも、中学の時(いつだかはっきり覚えていないんですが、たぶん中学の時)、夏のお祭りのとき、神輿を見に行ったときに、私は髪を上げてポニーテールをしたのです。
そしたら、母が、「耳見えちゃうじゃない、隠しなさいよ。」と眉間にしわを寄せて、耳打ちをしてきて・・ それがものすごく悲しかったです。 母がすごく嫌そうな顔をしていたからでした。

母は、私のこと、難聴であること、補聴器をしていることが、恥ずかしいんだ・・と思いました。 難聴の私じゃ嫌なんだと思いました。

しかし・・母にしてみれば、田舎で障がい者が受け入れられるという保証がないと思ったのかもしれません。
母も母で、私の知らないところで、大人の間で私がひどい言われ方をしているのを聞いたりして悔しい&悲しい思いをしたようです。
これは、私が大学の時に母が教えてくれたのですが、
私には二人妹がいて、ひとりは健常の妹で、もう一人は難聴なんですが、
4つ離れた健常者の方の妹が、小学校4年くらいの時に、合唱団に入っていた時、私と妹はそっくりだったので、他のお母さん方が、妹を私だと思って、「あら、あそこのおじょうさん、まだ小学生やっているのかしら」と噂しているのを母が聞いてしまったらしくて・・・
私はその時、すでに中学生。 母はとても悔しくて悲しくて、妹をその合唱団からやめさせたそうです。
そしてまた、母は全くの健常者で、難聴の私にとってベストな対策がわからなかったようでした。

そして、高校の時、私は学区外へ合格して、電車で通学したのですが、その時、「もう、ヘアスタイルを楽しめないなんて、イヤだ、私はおしゃれを自由に楽しむ! 耳を見せる!」と決意して、入学式の時に思い切ってポニーテールをしていきました。
そしたら、私の補聴器を見て質問してきたのは、三年間でもたった一人だけ。 それも優しく質問してきてくれました。 他は、み~んな触れずに、だまって理解してくれていました。 素晴らしい友人もたくさんできました。 今でもお付き合いがあります。 15年間隠し続けたのが、一体なんだったのか、っていうくらい・・何も問題がありませんでした・・

その入学式のポニーテール事件ですが、その後、私が大学卒業したころに、妹(健常者の方)が教えてくれたんですが、母が妹に泣きながら、「Naomiが、ポニーテールしていったの。」と言っていたんだそうです。
勇気を出して立ち向かっていった私の姿に涙を流していたそうです・・。 そして、母自身も、隠すことは間違いだったとその時に気づいたようでした・・。

だから、私も、母が耳を隠すように仕向けたのは、私を守るためだったというのを知ったのも、この頃で・・
それまでは、母は私が難聴であることを認めたくないのかなと思っていて辛かったですね・・。

しかし・・ 私と母は昔からよくケンカをしました。 それも、いっくらいっくらケンカしても、お互いの言いたいことがぜんぜん通じ合えなくて、話にならなかったのです。
冷静になってから話をしてみようとしても、コミュニケーションがとれなかったのです。 そのうちお互いにコミュニケーションをとるのをあきらめました。(あ、でも、お互い大好きなんですよ。)
でも、今になって、コミュニケーション取れなかった原因は、ここから来ていたんだなぁと思いました。 私の難聴を通じて起こった、母と私の過去のすれ違いというエネルギーが、ほかの話題でもぜ~んぶ通じないということを引き起こしていたのかもしれない・・と。 私が本当は怒りたかったのは、それらの話題ではなかったのかもしれない。 それらは、結局どうでもいいことだったのかもしれない。
本当は、難聴を隠すということで、私が難聴であることはいけないこと、母にとって、難聴である私はプラスではないんだ、マイナスなんだと思っていたこと、ありのままの私じゃいけないんだと思っていたこと、そのこと自体が十分に癒されていなかっただけなんだと・・

塾の仕事を終え、最後東京へ向かう夜、母と二人でラーメンを食べに行きました。
帰りの車の中で、スピリチュアル・メンターのアドバイスも含め、この話をしました。
「私、耳を隠すように言われて育ったじゃない?・・・。」と言いかけたら、母はとっさに、「難聴であることをマイナスにとらえるようになってしまったんだよね。 それは本当に申し訳なかったと思う。」と言いました。
あれ、珍しくずいぶんと話が通じる?と思いました。
「うん、でも、お母さんが取った行動もしょうがなかったと思うよ。 私は、それで、『自分が難聴であることがマイナスなんだ』とどこかで思っていて、そういうのもあって、だからこれまでの大ゲンカも、お母さんに対してとにかく(私のことを)『認めてほしい』と攻撃してたんだと思う。 だから、ごめんね。」と私は、言いました。 とってもすっきりしました。

そして、もうひとつ、私は、子どものころ、難聴であることをカバーするために、つまり自信をつけるために、勉強を一生懸命していたのですが、それで自信をつけたかのように思えたのですが、結局は、難聴であるありのままの自分を癒すことにはなっていないと今気づきました。 何かで埋めるのではなくて、それそのものを愛する、ありのままを愛する必要があると・・。

つづく


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by naomiangel | 2010-04-20 19:08 | About Naomi Angel

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